隈本県北部出身の国士舘OB、内柴正人金メダリストに連続中田氏疑惑

また国士様による日の丸冒涜か!(爆w




やっぱ主な原因はケツモチ失脚ですかね・・・(w
2ちゃんねるなどで拡散されてる連続中田氏疑惑に関してはとりあえずスルー。(w


とは言え中田氏派の内柴さんは多分異教徒でしょうけどね。(爆w














、、、(w









大学を卒業した野口は、福島県郡山絹糸紡績会社の技師長として水力発電事業に取組んだ。次に、シーメンス東京事務所に移ると、同じく水力電気事業のコンサルタント、エンジニアリング、電力利用設備のマーケティングを経験した。

1906年独立して曾木電気を興すと、鹿児島県川内川に出力880kWの水力発電所を建設した。また熊本県水俣まで送電して、45人の小工場ながら藤山常一と日本カーバイド商会を設立した。野口はこれを石灰窒素肥料の一貫生産とすべく、シーメンス社の前東京支社長、ケイラーの尽力を受け、1908年イタリアで石灰窒素製造特許の保有会社シアナミド社(シーメンスの子会社)から日本国内での製造権を譲り受けた。またベルリンでは発明者のニコデム・カロー博士から種々の伝授を受けた。

特許権を手にした野口は、曾木電気と日本カーバイド商会を合併、日本窒素肥料株式会社を設立した。出資の関係から大阪商船社長の中橋徳五郎が会長となり、野口は専務取締役、藤山常一は常務取締役となった。日窒コンツェルンは、この日本窒素肥料を中心に発展を遂げることになる。

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