白川伯王家と吉田神道 via kwout
の補足ですが・・・
清原枝賢(きよはら・しげかた、1520~90):キリシタン公家。唯一神道の確立者である吉田兼倶の曾孫。彼の娘マリアは細川忠興夫人に侍女として仕え、セスペデス司祭の指導の下にガラシャの霊名で洗礼を授けた。
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/kawachi1.htm
白川伯王家と吉田神道 via kwout
要するに今の日本の神社は異国の神を崇める場所なんですね。(爆w
日本は「異国の神々の国」とさえ言えるかもしれない。(爆w
更にダビデ君が頻繁に擦れられる鴻池さんの件ですが・・・
清原枝賢(きよはらきよはらしげたか)は公卿(くげ)であったが 唯一神道(ゆいいつしんとう)を唱(とな)えた吉田兼倶(よしだかねとも)の曾孫(ひまご)であった。 神道の優位性( ゆういせい )を主張したに違いない。
ところが この二人(ふたり)は ロレンソに説き伏されて キリシタンに改宗してしまった。 ミイラとりがミイラになったわけである。 これは五畿内(ごきない )の僧侶 神官にとっては 衝撃的(しょうげきてき)なことであった。著名な学者武将がキリシタンに改宗したしたことは大和河内にキリシタンが根付く(ねづく)きっかけとなった。
清原枝賢(きよはらきよはらしげたか)の娘マリアは 細川忠興公の夫人の侍女(じじょ)となり外出がままならない夫人に洗礼を行い ガラシアという霊名をつけた。
要するに・・・
も
って話です。(爆w
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