コレバロス。(爆w
と当初は威勢の良かった誰かさん・・・
非常に素直ですなあ。(爆w
更に・・・
せっかくスルーしてあげてたのに平たい顔のデブリンコダビデ君のせいですよ!(爆w
上海紡織
前身は、三井物産が明治35年(1902年)、中国人経営の興泰紗廠を買収して、上海紡績有限公司の名で香港政庁に登録したものであったが、三井家が半数の株式を所有し、三井物産上海支店が総代理店となり、一切を管理していた。
1916年、イギリス法の改正により英法人の会社に改組され、さらに1919年、社長及び総代理人ともに英人である事が必要となったため、1920年7月、イギリス法人を解消し、その債権債務を継承した上で、日本の法律による「上海紡織株式会社」として、改めて設立登記した。
東洋棉花創立時の三井本社との約束により、1922年4月上海紡織は東洋棉花の傘下に入った。
この時点では、必ずしも順調な業績ではなかった。
しかし、大正13年(1924年)、權野健三が会長に就任し、技術者の増強とともに、原料綿花の厳選や、製品販売を中国全土に拡大するなど独自の営業努力により、次第に業績を伸ばしていった。
その後、戸川濱男会長が昭和8年(1933年)に就任し、上海羊毛工場、青島工場などを新設、終戦時まで順調に発展、中国紡績業の向上と隆盛に貢献した。
(以上、「翔け世界に トーメン70年のあゆみ」より参照・抜粋/
黒田慶太郎氏の名前はここには、登場しませんが、会長就任は、戸川会長のあとなのでしょうか?)
上海紡織は莫大な資産と設備を持ち、在華日本人紡績の有力企業であり、東洋棉花にとっても最大の在外資産であったが、太平洋戦争終結とともにすべて接収された。http://episode.kingendaikeizu.net/29.htm
なんらかの理由で登場させるわけにはいかなかったのでしょうなあ。(爆w
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